プロフィール

幸心のホームページへようこそ。

私は、自分も周りの皆様にも、いつもご機嫌でワクワクするような、笑顔溢れる日常になれればいいなぁと願ってこのホームページを立ち上げました。

資格

・調理師

・栄養コンシェルジュ2つ星

・健康管理士上級指導員

・日本メンタルヘルス協会 公認心理カウンセラー

・mirai数秘術認定講師

・ラフターヨガリーダー


マイストーリー
my story

いつも笑うようにしていた子ども時代

私は、両親・母方の祖母とその妹・兄と私の6人家族で暮らしていました。

幼い頃から私は、いつも笑っている子どもでした。

 

家では、祖母と祖母の妹が毎日のように喧嘩をしては、両親、特に母を巻き込んで大きな声で怒鳴りあってましたが、いつの頃からか、その仲裁を私がするというか、祖母と祖母の妹の傍にいって、私がおどけたりニコニコと一緒にテレビを見ると、自然と喧嘩が収まるようになってました。

 

それは、毎日働きづめの両親の負担を軽くしたいとどこかで感じていたからだと思います。

 

両親は、親戚や知り合いから、よくお金の相談をされたり泣きつかれ、時には理不尽な扱いを受けながらも誰かのためにお金を工面し、自分たちは朝早くから夜遅くまで自営業でもあったので、休みなしで働いていました。

 

ある日、ふと背中越しに見た母の涙。その光景は、今でも私の心に深く残っています。

 

「どうして、みんな両親に頼ってくるんだろう?」

「何故意地悪な事ばかりするんだろう?」

「お母さんを悲しませたくない!守りたい!」

 

幼いながら、そんな思いを胸に抱いていました。

けれど、その頃の私にできることは限られています。

私に出来ることは

 いつも笑ってる子

 優しい子

 面白い子

 そして先生から「いい子だね!」と褒めてもらえる子でいることでした。

 

自分の本当の氣持ちにそっと蓋をして、明るく、陽気に振る舞い、周りを笑わせることで、その場の空氣を和らげようとしていたのだと思います。

 

その経験が、その後の人生に大きく影響しました。人の感情を敏感に感じたり、人の弱さや痛みに自然と目がいくこと。そして「誰かの心を少しでも軽くしたい」と願う今の私の原点になっています。

 

中学時代

 

中学生時代は毎年、前期は体育委員・後期は学級委員を務め、周囲からは「明るく元気で、目立つ存在」という立ち位置でした。

 

当時は運動部の上下関係も非常に厳しく、”指導”という名の暴力や理不尽さが、当たり前のように存在していた時代でした。

 

中学3年生の頃、クラスに誰も近づこうとしない、乱暴な3人組の男子がいました。

 いつしかその3人組の標的が私になりました。

 

トイレに入っていると上からホースで水をかけてきたり、授業中に、手紙が回わってきて、開けてみると昆虫の死骸が入っていたり、上靴には画鋲が入れられていたり、カバンは隠されたり、蹴とばされたり…。書ききれないほどひどいことをされました。

 

悔しくて、腹が立って、「どうして私が、こんな目に遭わなければいけないの?」と何度も心の中で叫んでいました。

けれど、クラブの方が厳しかったので、そのことよりも、クラブや副委員長の役割、友人との時間に追われる中で、表向きには「私は動じませんよ!」という顔をして、頼まれごとに走り回っていたように思います。

 

ただ…家に帰って自分の部屋に入った瞬間、悔しさと悲しさが一気に込み上げてきて、「何故こんなひどい事をされるんだろう!」「私を嫌いなら無視すればいいのに!」そんな怒りも混じった思いのまま、一人で泣き続けていました。

 

それでも、両親に心配をかけたくなくて、家族の前では、いつも明るく、ふざけている自分を演じていました。

 

卒業から数年後、同窓会で当時の主犯格の男子が近づいてきました。

 

「お前だけは、俺たちを見捨てなかった。みんなから嫌われ、学校では先生に怒られ、家に帰っても親に怒られ居場所がなかった俺たちに、お前だけがお母さんのような優しさで受け入れてくれていた。本当に嬉しかった。ありがとう」

 

その言葉を聴いた時、あの子達は、私を嫌っていたのではなく、ただ寂しくて、苦しくて、”誰かに氣づいて欲しかった”のだと、初めて理解しました。

 

私はどこかでずっと、”私は嫌われる存在?””私は意地悪されても誰も助けてくれない存在?”と、自分を否定し続けていた所もあったので、それが、そうではなかったと知り、ホッとして、自分の中の自己否定が少し和らいだように感じました。

 

いじめる側もまた、心の奥で「誰か助けて」「誰か優しくして」と叫んでいる存在なのかも知れません。

 

この体験を通して私は、人の言動や態度の奥にある「背景」や「痛み」に目を向けるようになりました。

表に見える姿だけで人を判断しない。

その人の「心の奥」にそっと寄り添う。

 

それが、私の関わり方の原点となっていきました。

他人軸になっていた時期

40代後半から50代にかけて、私は自宅サロンを運営しながら、不登校の子ども達が通う文化館のクッキング講師をさせていただいていました。

 

けれど実は、お料理のことになると、私はなかなか自信が持てませんでした。

「もっとお料理が上手くなりたい!」

「こんなに長年学んできたのに、何故一流の味や盛り付けに近づけないんだろう」 

 

そんな思いを、いつも心のどこかで抱えていました。

 

「絶対味覚って、どうしたらなれるんだろう?」

「さっと作る料理でも、いつも美味しいと言われる人になるにはどうすればいいんだろう」

 

本来、料理を楽しむはずのものが、私の中では「どうすれば?」「もっとうまくなりたい!」と、重たく握りしめるような氣持ちで向き合っていたように思います。

 

どれだけお客様にお越しいただいても、「まだ足りない!」「もっとできるはず!」そんな思いが消えることなく、自分の不器用さに強いコンプレックスを抱いていました。

 

その不安を少しでも埋めたくて、「肩書きが増えれば安心できるのではないか?」と、時間を見つけては、通信教育や検定試験を必死に受けていました。

 

今振り返ると、その学びの多くは、「自分を満たしたい」「認められたい」という思いからのもので、本当の意味での学びや、自分を信じる自信には繋がっていなかったように感じます。

 


50代の私は、仕事と学び、そして家族のサポートとに追われ、一日一日を味わいながら過ごすというよりも、寝る時間を惜しんで、ただ必死に走り続けているような毎日でした。

 

当時、タイに赴任中だった夫の健康管理を考えて年に6回はタイに行き、食事や身の回りのサポートもしていました。

帰国後は、また自分の仕事に加え、子どもや家庭・両親の晩御飯も一緒に作っていたので、近所に住む実家にも届けるという毎日が追われるような日々でした。

 

 主宰していたお料理サロンには毎回約1か月半で150名ほどのお客様がお越しくださる程でした。全てを一人で担っていた為、毎回10~16人程のグループのお客様にお越しいただいてましたので、前日は徹夜で準備をし、帰られた後は、片づけに6~8時間はかかりよく体がもっていたと思います。

 

自宅ということもあり、ご紹介のみで広がっていき、14年間でのべ700名の方々にお越しいただきました。けれど、年々、体は確実に悲鳴をあげていました。

それでも、

 

「幸子さんを見ると元気になる」

「幸子さんと話すと癒される」

 

体力的には限界を感じ始めていましたが、喜んでいただけることが原動力となり、途中お休みさせていただいたこともありますが、介護生活する前まで必死に頑張ってやってました。

 

ところが、両親の介護のために私は一旦自宅サロンも子ども達のクッキング講師の仕事も手放すことになりました。

その時、私の中で、何かが大きく崩れ落ちたように感じました。

 

「私には誇れるもの?って何があるんだろう」

そう考えた時に、何も思い浮かばなかったのです。

 

仕事がなくなった。では、私はこれから何をしたらいいんだろう?

 

ずっとどこかで、人と比べ、「自慢できることが何もない自分」そんな劣等感を抱えていたことに、初めて氣づきました。

 

 私は、お料理を通してお客様に認めていただくことで、自信を保っていただけだった。これまで積み上げてきたはずの自己肯定感が、一氣に崩れてしまったように感じました。

 

丁度世の中はコロナ禍に入り、人との繋がりが急激に途切れていきました。

 

・自分には何か才能があるんだろうか?

・両親の介護や家族のサポートだけが今の私の役割なんだろうか?

 

孤独と不安が、これまで以上に大きく心を占める時間でした。

 

「介護が終わる頃は、もっと年齢を重ねている。そこからいったい何が出来るんだろう?」

そんな焦りも、常に胸の奥にありました。

 

 

「幸子さんといると元気になる」そう言って沢山のお客様にお越しいただいていたことで、私は「自己肯定感が高い」と思っていましたが、そうではなかったことをこの期間に思い知らされた氣がします。振り返れば、確かに他人軸が自分の肯定感になっていたり、自信になっていたと勘違いしていました。

 

この期間は、とても苦しく不安と焦りに揺れ続けた時間でした。けれど同時に、自分の根底をもう一度見つめ直すための大きなきっかけとなった時間でもありました。

 

 

学生時代から、何故か友人に悩みを打ち明けられ、相談を受けたりすることが多く、私は自然と「話を聴き、言葉をかける立場」にいました。

 

その影響もあり、心理学や生き方・在り方に関する本をよく読むようになり、また言葉では上手く説明できないような「何かに守られているような感覚」を覚えるような不思議な体験も、これまでに何度か経験しています。

 

ご縁を頂き不登校生の子ども達が通う文化館で、クッキング講師を務めることになりましたが、きっかけは、前任者の先生から声をかけていただいたことです。

 

「あなたは、料理を教えるだけでなく、子ども達に寄り添い、心を通わせられる人だと思う。だからあなたに任せたい」

 

そう言っていただき、文化館の講師としても12年間、お世話になりました。

 

20年前の不登校の背景には、家庭環境の問題を抱える子どもも多くいました。

人前で素顔を見せられず、ずっとマスクをしてる子。言葉を出せなくなったしまった子。自己肯定感が低く、大人の身勝手によって心を深く傷つけられている子ども達もいました。

 

私は、料理を通して、少しでも心に温もりを届けたいと思い、手書きのレシピに「この想いが子ども達の心に届きますように」と願いを込めて、レシピを作っていました。

 

それでも、心のどこかで、問い続けていました。「私にいったい何が出来るんだろう?」「どうすれば子ども達や弱い立場の人が犠牲にならず、優しくみんなが幸せになれる社会になるんだろうか?」

 

講座やセミナーに参加することもありましたが、介護生活に入ったことで、自分自身の”自分軸”が確立できていなかったことを自覚しました。

 

そこで私は改めて専門的に心理学を学び直すことを決意し、

 

日本メンタルヘルス協会にて心理学を学びました。

プロコースでは、ゲスト講師にmirai数秘術を主宰されています曲田純世先生の数秘術と出会い、数秘の持つ魅力に深く感動し、mirai数秘術の認定講師にもなりました。

さらに、ベストセラー作家である本田健さんのマスターマインドの5期生として参加し、現在も心理学の学びをリピートしながら・数秘・マスターマインドでの学びやそのお仲間からの学び等…学びと実践を続けています。

 

私がこれから何を考え、どんなことをやる上で大切にしていることは、「その人の本質をお聴きしたり、一人一人が掴み取ってきた素晴らしい才能や資質。そしてまだ氣づかれていない魅力をお伝えし、ご自身で開花されていくこと。ご自身の人生を自分の手で創造していく。そのお手伝いをしていくことです。

 

私が提供させていただく全てのメニューが、愛と希望そして喜びへと繋がるものであることを心から願っています。

 

 

 最後に…

 

全ての人には、素晴らしい才能や資質があります。その才能や魅力をご自身の人生で活用され、望む未来を創造されるお手伝いをさせていただきたいと思い、「幸心(さちごころ)」を立ち上げました。すべての人が笑顔で楽しい人生を創造されますよう。感謝